森川美穂ベストコレクションBe Free 作家対談

森川美穂ベストコレクションBe Free リリース記念 スペシャル対談

今回のCDアルバムは、森川美穂の過去シングル曲を中心とした作品集となっています。森川の代表曲12曲を、今の森川美穂が歌うセルフカヴァー、そして13曲目には、これからの森川美穂をテーマに新曲が入れられています。そこで、森川美穂と関わってきた作家3名に集まっていただき、作家の目からみた森川美穂、そして、森川美穂が歌ってきた作品をテーマに、対談をしていただきました。

対談メンバーの紹介です。
森川美穂に数多くの作品を提供していただいている作詞家:佐藤純子さん。今回のアルバムには「PRIDE」「わかりあいたい」「POSITIVE」と3曲が収録されています。そして、今回のアルバムタイトル曲「Be Free」の作曲家:羽場仁志さん。そして森川作品には初参加、アルバムラストに収録されている新曲「ビニールの傘」の作詞家:松井五郎さんという3名にお集まりいただき、お話をうかがいました。 司会進行は、森川スタッフの西嶋です。

■1985年 誕生

西嶋:話の流れとして、森川美穂の歴史を追う形で、時代毎に皆さんから見た森川美穂、そして作家として関わった時のエピソードなどをお話して頂ければと思います。まずは遡って1985年デビュー曲「教室」

羽場:これ17才ですよね。うまいですよね。相当うまいですよ。

佐藤:実は私はリアルタムでは記憶がなくて、一年くらい後だと思います。私が関わったのが86年の秋くらいだったので、これがデビューだったよって言われて、渡されのたが「教室」でした。何なんだ!と思いましたね。ピュアだけど、ものすごく凛々しい。女の子だけど、もう女だという感じがして、怖かったですね。この人に嘘ついちゃいけない、みんな見透かされちゃうっていう感じがしました。もう自分の生き方を決めているような感じもすごくした。ただ、声の中にどこか少し脆いところがあって、そこがたまらないなって思いましたね。とにかく歌がうまいというのと、これからこの娘、何をやってくれるのだろう?っていう、怖さと期待感。

松井:僕も、実は今回、森川さんと会うにあたってはじめて聴いたんですよ。僕が関わらせて頂くようになって、彼女に感じた、「翳り」みたいなものの原点が「教室」にあったんだなと思いました。85年の時点で作詞の千家和也さんはすでに感じていたんじゃないですかね。千家さんは、山口百恵の世界観を作った方でもあるから、同じ匂いを感じたんじゃないかと。この詞を見ると、ちょっとそんな感じがするんですよね。書き手からすると「突然ですが、退学します」っていうね、それも女性で「退学」というテーマは今だと書けない。そういう意味では、とても斬新な作品ですよね。佐藤さんは「退学」というテーマを、どう思いました。

佐藤:強烈でした。でも、今だと、もしかしたら問題になってしまうなって思うし、私には書けないです。

羽場:声とのギャップって感じません?この声に言わせちゃうみたいな。

松井:この曲はすごくアイドルじゃないですか。だから、大人の思惑と、本人の歌いたかった世界とのギャップはあったのかもしれませんね。いろいろ聴かせてもらって思ったんですけど、今回、僕が書いた新曲の「ビニールの傘」は、「教室」の後日談だったのかもしれないなって思ったんですよ。この歌の中にいた女の人が、退学したあとどうやって生きて行ったんだろう?と思ったんです。最初は意識して書いたわけじゃないですけど、今、見直してみると僕が書いた「ビニールの傘」の女の人と「教室」の主人公は、もしかしたら、同じ人かもしれないって。

西嶋:なるほど。今だからこそわかる視点かもしれませんね。その後1987年「おんなになあれ」「PRIDE」と続くわけですが。

松井:「おんなになあれ」はASKAが書いた曲ですが、ASKAのコメントを見てみると、彼も「教室」が頭にあったのか「制服を脱いだ主人公が、どんな女性になっていくのか?」というような事を言ってます。森川美穂をアイドルから一人の女性アーティストとしてとらえてアプローチしたんだろうなと思いました。

佐藤:この曲は、お見事という感じでしたね。この頃、彼女は18才だったのかな?背伸びしたい時期じゃないですか。歌詞の中に「ヒール」という言葉も使っていたり、「紅」(=口紅)という言葉も出てくる。お化粧もしてみたい年だし、歌に登場させる小物の使い方がまず上手だって思いました。大人になりたい自分に魔法をかけていくっていうのって、とても女の子っぽい発想で、確かこの曲のリリースは春だったんですよね。(※1987年3月5日リリース)とにかく、メロディーと歌詞が一体になっていて、自然に体に入ってくる感じでした。

羽場:ちょっと、声の伸びやかさが、聖子ちゃんぽく感じる部分もありますよね。

松井:アイドルが成長していく過程で、少女から女性になっていく、変化のコントラストをつけた歌ってありますよね。この頃は、競合する歌手も多かったと思いますが、羽場さんが聖子ちゃんぽい部分を感じるって言ってましたけど。当時の森川美穂の歌手としてのポジションをスタッフ側としてはどう考えてたんですか?

西嶋:当時、ヤマハ初のアイドルを生み出そうというプロジェクトが、この森川美穂のプロジェクトだったのだろうと思います。しかし、この曲は、アイドルが歌う歌謡曲というより、J-POPというイメージの曲で、当時でしたら、渡辺美里さんが出てきたり、小比類巻かほるさんが出てきたり、そのカテゴリーに入る。

しかし、元々の基本路線は、アイドルを売り出そうというプロジェクトだったわけで、作品とプロモーションが乖離していくという現象が起こっていったんですね。

羽場:それは、作品の方向性の修正は入いらなかったんですか?

西嶋:いや、ちゃんと入りましたよ(笑)そもそも「おんなになあれ」は、まだ時期尚早という判断がされていましたが、とにかく、僕が作品に惚れこんじゃって、とにかくお願いしてやらせてもらいました。

松井:その後のシングルが「PRIDE」で、佐藤さんが作詞をされることになる。

佐藤:実は最初に関わった作品が「姫様ズームイン」になったメロディーだったと思いますが、メロディーがキャッチーで、そういう詞がうまく書けなくて、ボツだったんですよ。それで、次にいただいたのが「おんなになあれ」のカップリング「ひとりぼっちのセレモニー」だった。そして「PRIDE」。

西嶋:「PRIDE」は、作曲の大内義昭さんに、サビで転調して、大空に舞い上がるようなサビにしたくて、森川の音域フルレンジを使い切るように、声をフルに使える楽曲にしてほしいとオーダーしました。これが、イェーってくらいにど真ん中の作品があがってきたんです。しかし、アイドルソングではないと、スタッフには不評でしたね。

羽場:大内さんは、その頃はもう小比類巻さんでヒットしていましたよね。言わば旬の作家起用。「おんなになあれ」からの流れを切らせないようにというエネルギーを感じますよね。

西嶋:「PRIDE」は、純子さんの詞もよくて、もうこれは押し通すしかないと、わがまま言ってシングルにしてもらいました。

松井:佐藤さんは、どんな思いで「PRIDE」を書いたんですか?ポイントは?

佐藤:ボーカリストとして書くのか?アイドルとして書くのか?私はボーカリストとして書きたかったんです。で、80年代は、男の人にリードしてもらって、ついていくような可愛い女の子の歌が、絶対的に多い時代だったじゃないですか。そこで、例えば、ズタズタに自分が傷ついた時に、森川美穂だったら、どうやって立ち上がっていくんだろう?っていう、立ち上がっていく姿を、書きたかったんですね。
ボンボン殴られても、それでも立ち上がるっていうイメージで、そんな写真をつけて提出したりしていました(笑)この頃、だんだん森川美穂ちゃんの性格がわかってきて、竹を割ったような性格なので、あまり可愛らしい女の子イメージでは書かないでと事務所からも言われて、弱気なところを持っているんだけど、弱気な私じゃないのよっていう女の子で、言葉は絶対に弱気になっちゃいけないと、がんばって、がんばって、がんばって、1行づつ書いたっていう感じでした。

松井:これ最初から「PRIDE」というタイトルだったんですか?本当は「Proudly」だったんじゃ?

佐藤:いえ、最初から「PRIDE」でした。やっぱりサビで歌いたいんですけど、音数が、PRIDEでははまらなくて、それなら、誇り高く抱きしめたい、「Proudly」ってことで(笑)

西嶋:そしていよいよアルバムのタイトルでもある1988年「Be Free」

松井:この時、これまでの曲とか、参考にしましたか?

羽場:いや、僕は作曲家として駆け出しだったんで。ほんとうに好きなように書かせてもらいました。森川美穂さんに合わせて、メロディーを変えるとか、まったくそんなことは考えられなくて。

松井:でも、資料もらうじゃないですか?

羽場:はい、もらいますけど、無視です(笑)基本的にあの頃は、ほとんど無視です(笑)で、それで決まっていたんです。

松井:じゃぁ、羽場仁志という作家のいい波の時に、森川美穂さんの曲として使ってもらっていたんですね。

羽場:そうですね。けっこう、書く曲、書く曲、みんな「いいね、いいね」って言ってくれて、そんなに悩まずに。

羽場:でも、「Be Free」はメロディーの手直しが入りましたね。僕の書いたオリジナルには、大サビがなかったんですよ。で大サビをつけてくれって、言われたんですけど、手直しっていうシステムもよくわからなくて。実は内心、そんなの付けたらダサくなるからいやだなぁ~みたいな感じでした。洋楽では、Dメロなんていう感覚がなかったんで、かっこ悪いなーって思っていたんですけど。でも、昨日久しぶりに聴いてみたんですけど、この曲、大サビないとけっこうきついなって(笑)

松井:曲先ですか?

羽場:はい、曲先です。

松井:デモテープは、ラララみたいな感じですか?

羽場:いいえ、デタラメ英語です。完璧に洋楽志向だったんで、ドゥービーブラザースっぽい感じで作ったんです。

松井:作詞の麻生圭子さんと打ち合わせしたりしたんですか?

羽場:打ち合わせはしていないです、、全部、西嶋さんです。そもそも、この頃、音楽制作というか、システムさえよく分かってなかったんですよ。

松井:歌詞が出来上がってきた時は、どうだったんですか?

羽場:うーん。詞についてまだ意識できるほど余裕がなかったですね~(笑)

松井:発注のポイントってあったんですか?

西嶋:僕の中では、羽場くんみたいな作曲家が「おぉ、出てきた!」って感じだったんですよね。僕自身が洋楽が好きだったっていうのがあって。日本の歌謡曲の作曲家っていうんじゃなくて、スティービーやドゥービーといった洋楽をしっかり聴いて育ってきた人が作るメロディーというのを感じました。なので「Be Free」は、誰用に書いたっていうんじゃない羽場くんのデモテープを聴かせてもらって「あ、これいただきっ!」だと。絶対使うからって言って、僕がストックしていた曲だったんです。それで、森川に使うにあたって、Dメロをつけてもらったんですね。

羽場:そーですね。まだ歌手に合わせて、メロディーを書き分けるようなことはできなかったですね。

松井:詞の発注はどういう発注をしたんですか?

西嶋:純子さんが「PRIDE」で作り上げてくれた、ホントはちょっと脆いところはあるかもしれないけど、気が強い女像っていうのがあって。そんな話を麻生圭子さんと話をしました。そこに麻生さんがドライな一人で生きて行く女性像、そんなムードを入れて書き上げた。「Be Free」のDメロで「本当にダウンしたときは、この両手君に貸すから」ってフレーズがあるんですが、そういう暖かさは心の底に持ちつつも、でも、いつだって人間はひとりで、君も、私も、一人と一人だよっていうような、ちょっとクールでドライな感じを考えたのは麻生さんですね。それが、すごく森川には似合うなと思い、麻生さんが作る森川美穂像っていうのは、しばらく続けて行きましたね。

松井:この時代、渡辺美里さんや小比類巻さんは、少し中性的な部分があった。詞の人称に、女性なのに「僕」とか「君」が使われ出す時期。それまでは、女性は「わたし」「あなた」で、あまり女の子が「君」や「僕」は使わなかった。特に「僕」なんて言い方を、今は女性も普通に歌いますけど、80年代はまだ少なかった。その後、女性が社会で力をつけていく時代背景を映しているような気がするんです。佐藤さんは「PRIDE」から「Be Free」への流れで感じたことありますか?

佐藤:はい、ありました。「Be Free」に関しては、もう、森川美穂さんそのものっていう感じがしたし、ああ、私、もう書かなくていいかなって思ったことがあって、麻生さんは、すごく上手ですよね!森川美穂だったら、こういうことするだろうし、言葉の選び方もこういう話し方をするだろうなっていうのを掴むのをすごく上手だなって思いました。で、竹を割ったような人間だからって、ずーっと言われていたんで、私はぜんぜん竹を割ってるような人間じゃないんで、私が美穂ちゃんの方向を見ていくほうが、すごく大変でした。あ、そうか、麻生さんこれ出来るなら、私もう登場しなくてもいいかなって思いました。

松井:そういう意味では、当時の森川美穂ちゃんの実像はわからないけど、そこにすごくフィットしていたっていう感じなのかな?

佐藤:はい、すごくフィットしていました。じゃぁ、私は私でどうしたらいいかなって考えた時、竹を割ったような人間をもう書かないほうがいいなって思ったんですね。で、アルバムとか、カップリングとか、もう自由に書かせてもらったというか。あえて、森川美穂ちゃんは言わないようなこと、内面の弱さとか、すごく女の子っぽいとか、さわってほしくないところを、わざとさわったりとか、そういう方向で書いて行ったと思います。

松井:まさに、そのあと「わかりあいたい」ですけど、、これシングルですよね?麻生さんが築いた「Be Free」あってのというか、まさに違うものを書こうということで書いた?

佐藤:はい、そうです。そもそも、麻生さんみたいに上手には書けるわけないし(笑)

羽場:竹を割ったというような性格って知ったのは、つい最近のことで、こんなキッパリした人なんだって(笑)

(「わかりあいたい」を試聴しながら、Bメロ ♫ボーイフレンド、会えないと不安になるよ♫)

佐藤:美穂ちゃんは、きっと会えなくても不安にならないんですよ(笑)

松井:羽場さんは、この間、ほかにも曲を書いてるんですか?

羽場:はい、けっこう書いています。

松井:関わっている中で、もっとこういう曲を歌って欲しいとか、、そういう変化はあったんですか?

羽場:たぶん、その頃は、けっこう、恥ずかしながら、いい気になっていたんですよ。自分で、あの、意味もなく、けっこう自信もってたんで(笑)

松井:羽場仁志の世界に、ついて来いやみたいな?(笑)

羽場:そうそう、マネージャーに、日本の音楽業界を変えてやるって言ってましたから(笑)久保田利伸くんとか、崎谷健次郎くんとかが出てきていて、逆に、ついて来て!ついて来て!って(爆笑)

松井:それで、森川美穂は、羽場さんにとって、どうだったんですか?

羽場:想像以上に歌がよくて、もっと、やりたいって。それから、森川美穂さんのために、和泉常寛さんと一緒に作ったりとか、いろいろしてましたね。けっこうレベル高かったと思いますね。当時、10代でこれだけ歌えるって。あの頃は、歌を選んでいるだけで、音程を直したりってしていないし。ほんと、いいですよね。

松井:「わかりあいたい」は詞の発注ってどうだったんですか?

佐藤:まず、「夏だから」って言われました(笑)で、「夏って言わないで、夏の歌を書いて」って(笑)

西嶋:あの当時、「おんなになあれ」「PRIDE」「Be Free」って、自分の中で3部作だなっていう思いがあって、もうこれ以上シングルでこの路線をただ続けちゃダメだなっていう思いがあったんですよね。それで、違った世界を1曲つくりたかったんですよね。で、森川美穂が18~19歳って、女性としていちばん変化していくときで、ここでもう一歩、大人にするためには歌詞をどう捉えればいいのかって、思っていたんですよね。そうしたら、強気、強気っていうんじゃないのが出てきて、これをシングルにしたっていうのがありましたね。

松井:これって、最初からシングルという書き方をしましたか?書き方っていうとちょっと職業的な言い方になっちゃうけど(笑)

羽場:シングルの書き方とアルバムの書き方が違うんですか?

佐藤:シングルっていうのは、まず、皆様にわかっていただかないといけない世界観を作らなくちゃいけないじゃないですか。で、私が嫌いな言葉ですけど(笑)キャッチーな言葉がないといけないし、あのー、言葉がストンと、キャッチボールしてポンと投げたときに、スッと受け取ってもらえるようにしなくちゃいけないし、そもそも、解らないっていわれたらおしまいなので(笑)

羽場:松井さんはどうですか?書き方ってガラッて変わりますか?

松井:タイアップがついていたり、15秒でも伝わるものなのか、全部聴かないとダメなのか、書き方は違うと思います。そういう意味では、物理的な意味では考えたりしますよね。そういえば、美穂ちゃんは、タイアップ多いですよね。この歌はどうでしたっけ?

佐藤:ミノルタカメラのCMかな?

松井:CMとかは、やっぱり意識しますよね。どの部分がCMとしてオンエアーされるか。

羽場:僕はシングル用って書いたことはなくて、結果として、シングルになっちゃったっていう感じでした。

松井:当時は制作行程上、曲先が多くて、とにかくリリースに向けてオケは録音していって、歌詞が一番最後にまわされて、何度でも、書き直しが利くと思われていて(笑)、そんなこともありましたよね。

■1991年 新たな変化へ

西嶋:ここまでがVAP時代で、この後は東芝EMIの時代へと入ります。1991年 「POSITIVE」

松井:「わかりあいたい」の後に、何曲かありますが、佐藤さんが書いたシングルである「POSITIVE」になるんですよね?これは「わかりあいたい」から考えると、、タイトルだけ見ると「Be Free」に回帰しているようにも思うんですけど、どんな思いがあったんですか?

佐藤:私、一旦、美穂ちゃんから離れている時期があって、「POSITIVE」は、東芝に移って私が関わった最初の作品でした。ぶっちゃけて言うと、実は、私は失恋のドロ沼の中だったんです(笑)それで、その時のプロデューサーに、私、書けませんって言ったんです。本当に、昨日ふられたみたいなタイミングで発注が来て「書けません」って(笑)、でも、書いてよって言われて「そうだよね、がんばるよ!」って(笑)で、そのまんま書いちゃったっていう感じなんです。そうじゃないと、書けなかったみたいな(笑)

松井:佐藤さんのリアルな気持ちを書いたっていう、ほんとは森川美穂どころじゃなかったっていう作品なんだね(笑)

西嶋:なるほどー。だから伝わるんだなぁ。この前、NHK-FMの「アニソンアカデミー」という番組に、森川がゲストに出たんですけど、そこで中川翔子さんが自分がどん底に落ち込んでいたときに、この「POSITIVE」の歌詞に救われたって、本気で、泣きながら言ってましたよ。

羽場:へー。それが実話で、前の日にふられたっていう・・・へ~(歌詞をながめながら)でも確かに、すごいですね~はいはいはい。

佐藤:で、何を打ち合わせしたか、覚えていないんですよね。美穂ちゃんとは、もうまったく会っていなかったし。とにかく、任せるって、言われたんだと思うんですよね。たぶん。

羽場:この曲、なんかSMAPみたいですね。おしゃれですね!

佐藤:この曲(メロディー)こんな明るいじゃないか!私こんなに落ち込んでいるのにって(笑)

松井:自分が救われちゃったみたいな?

佐藤:そう!自分を救ってやろうと(笑)

羽場:この頃って森川美穂さんにとって、この曲どうだったんですかね?カッコイイ、もう私にぴったり!という感じだったんでしょうか?

西嶋:この前、レコーディングに純子さんが遊びに来たときに、この詞、どんな意味って聞いてなかった?

佐藤:(笑)そうそう、25年以上経って(笑)2コーラス目の頭のここの「悩み疲れて まどろんだ耳もとに聞こえてくるやさしい声は 本当の自分かもしれないよね」って、この4行どういう意味ですかって(笑)で、「えぇ~~!」ってなって(笑)で、説明して、「あー、そーなんだー!」って言ってました(笑)彼女は、ちょっとわからないところがあっても、演じちゃうところがあるんですよね。

羽場:そうですね。演じられる「声」の持ち主だと思いますよ。

松井:詞の意味とかって、説明します?美穂ちゃんに限らず。

佐藤:する時って、あまりないですよね。作る前に、話しあって、ということはありますけど。

羽場:たしかに、実際、歌手に詞の内容を、作詞家として伝えたくありません?

松井:僕は、ちょっと乱暴な言い方すれば、自由にしてくださいという気持ちですね。もちろん、よくわからないと言われれば話はします。ただ、説明が必要な時点で作品としてはどうなのかなとも思いましが。

羽場:歌手の人は、自分のリアリティに嘘をつきたくないんですかね?

松井:それは人によるんですよ。沢田研二さんの「TOKIO」みたいに、パラシュートを背負っても歌えるみたいな、変幻自在にデフォルメやフィクションを聴かせてくれる人もいますよね。美穂ちゃんみたいな歌手は、きっとそこがいつも葛藤があると思うんですよ。作品がこれですよって言われたとして、自分がこれに感情移入できるか?考えたときに「よく分からないけどやってみよう」と思うのか?「よく分からないからやりません」というのか?

羽場:例えば、ここは、こういう風に歌いたいっていう主張はあるんですか?

西嶋:ありますね。というか、いちいち説明はしないで、彼女は歌うことで意思表示しますね。それで、こちらは、そういう風に歌いたいんだなって思う。テクニックはもうあるんで、そういう意味では、今は、なるべく意図的な表現方法は使わないでもらって、言葉を歌うだけで、感情が入ってしまうところは、入っちゃうくらいでいいかなって。そこにテクニックは自動的に自然に使われるんです。色々、歌えちゃう人は、意図的に狙ってしまうと、聞き手にとっては感情過多になる時があって、今回は、何度も繰り返して聴ける作品にしたかったので、とても、いい歌が録れていると思います。

松井:東芝時代は、羽場さんは曲は書いてなかったんですか?

羽場:そうですね。なかったと思います。西嶋さんとしか打ち合わせしたことがなかったので、たぶん。ただ、書きたいって思ったことはあるんですよ。で、なんで、西嶋さん、声かけてくれないのかな~?って。でも、もう違う会社に移っていなかったんですね(笑)

■2015年 更なる進化へ

松井:さて近年の話に。最近のアルバムは聴きました?

羽場:はい。

松井:歌手として、表現者として、以前と変わったと感じるところってあります?

羽場:はい、なんか、こう、小さく歌えることを覚えたというか、すべて、ガーって歌わなくても、小さく歌うことのほうが、伝わることもありますから、実際に。たとえば、すごくマイクに近づいて、オンマイクで囁いたほうが、伝わることってありますから。実際、そういうことを、出来るようになったのかなって、思いましたね。

松井:佐藤さんは、「Life is beautiful」を書かれたわけですが、この曲に至るまで、歌手・森川美穂が歌ってきた歌詞の世界観から考えると、彼女にとってのリアリティと、世の中の人のリアリティの振り幅の中で、悩んだり、迷ったりしながら、「Life is beautiful」で、一度リセット出来たんじゃないかなって思ったんですよね。

佐藤:この詞の発注のときは、もう森川さんと会話が出来る関係になっていたので、30周年の区切りとして歌いたい、今までの自分に一括りの意味を考えた時に、じゃ、何を今、自分が歌いたいか?といえば「感謝」だと。ファンの人、自分を支えてくれているスタッフ、すべてのものに感謝、自分を歌わせている何かに感謝を言いたい。そして「愛」だと。そういう気持ちをうけとって、そこには、子供への愛もあるのかなって思いました。

松井:「母」という言葉が出てくる歌って、大変じゃないですか(笑)やっぱり、人として、歌手として、父、母、子供を歌うというのは、良くも悪くも、歌手のリアリティというのを、ファンの人に見せてしまう。だから、僕は、書く時にすごく気を使うんですよ。

佐藤:実は、このメロディーに別の詞を書いていたんですよ。美穂ちゃんには見せていなったんだけど(笑)でも、テーマが広がりすぎるとちょっと違うかなって思って。そして、感謝の中に、ファン、スタッフ、そしてもちろん親も出てくるだろうと思って、ちょっと「母」を登場させてしまったんですけど。

松井:森川美穂のファンの人たちが彼女に何を求めているかと思った時に、「母」ということを歌うというのは、リアルでその気持ちはわかるんだけど、歌の中では
疑似恋愛の対象であって欲しくもあり。ただ、そこは、アーティストとして世界観を広げるために超えなくちゃいけないハードルだと思う。その意味で、「Life is beautiful」はタイトルも含め、この歌を歌うことで、彼女は、次の自分へ進める勇気を持てたと思うんですよね。頭の2行って秀逸だよね。「言葉を話すその前に 歌い出したと母は言う」って、この2行で母親との関係性と、彼女のここまでのすべてを言い切ってるなと思って。だから、逆に言うと、僕がこの後に書くものというのは、もっとフィクションでいいやと思えて、自由になれたんですよね。

佐藤:ありがとうございます。私、松井さんの3部作(「ビニールの傘」「ユメサライ」「それから」)を見た時に、やだ、美穂ちゃんこんなこと歌えるんだって、ヤキモチが出ました(笑)「Life is beautiful」を書いた頃から、ここ3~4年は「私、恋愛とか興味ないし」とか言っていたんで「恋の歌は私、歌わなくていいんだ」みたいな「人生とか歌、とにかく仕事でつっぱしる自分で生きていきたいんだよねー」って、そっか、そっちかというのがあって「Life is beautiful」になったというのがあるんですけど、松井さんの「ビニールの傘」聴いたとき(机をバンバン叩きながら)ぎゃーっ!!って、こんな感じでした(笑)こっち行けるんだ美穂ちゃん、くやしーみたいな(笑)すごいって思いました。松井さんの書き方が、美穂ちゃんの別の一面を引き出しちゃってる!

松井:アーテイストも年を重ねてくると、家族や人生や絆といったことを歌うことが多くなる。でも女性には女性でいて欲しいとも思う。恋の歌はいくつになっても歌って欲しい。「ビニールの傘」は不倫の歌ですかと訊かれたけど、「逢いたいときしか 逢いにこないひと」というのは相手の性格描写で事実関係の説明ではないんですよね。そもそもファンと歌手というのは、永遠に不実の関係なんですよ。お互いに成就しない恋をしてる。

佐藤:なんだか、逆手にとられた感じですよね。「ビニールの傘」って、普通、タイトルに使わないですよね。

松井:最初は「傘」っていうタイトルにしてたんですけど、ビニール傘にみんなが持ってるイメージ、失くなってもいいかなぐらいの価値観(笑)そんなイメージがこの女性の存在とリンクした方がドラマチックかなと。

羽場:こういう詞は、本当に作詞家しか書けないですよね。こういうフレーズって常日頃から考えているんですか?

松井:(笑)また、これは、すごい素人っぽい質問ですね(笑)

佐藤:(笑)かわいー(笑)

松井:美穂ちゃんは、未だに、なぜこの「ビニールの傘」を私に書いたのか?と思っているというようですが(笑)僕にとっては必然的だった。先ほど、佐藤さんが仰った、演じる力。今の彼女の声は、フィクションをリアルに変える力がある。シンガーソングライターじゃないから、場合によってはアーティスト本人というリアルにあわせた歌詞を書いたほうがいい場合もあるけど、でも彼女は他人事でも、歌として、あたかもこういう 女性ではないかって思わせくれる。

西嶋:ここまで、振り切ってもらえたから、ストンって入れたんでしょうね。中途半端に本人らしさを入れようみたいなことがあったら、恥ずかしくなっちゃってたかもしれないけど、ものすごくスムーズに、ストンっと歌の世界に溶け込んだ印象がありましたね。

佐藤:まったく美穂ちゃんに今まで無かった世界だったし、だから演じやすかったのだろうと思うし、聴いているほうも「なに?この世界観?」って、おもしろい扉が開いたって、聴かれたファンの方も多かったと思います。

松井:キャリアは僕は美穂ちゃんと同じような時代に活動してきて、これまで依頼がなかったのが不思議なくらいなんですが、いまだからこそ、みたいな気もしますね。

羽場:松井さん、今回がはじめてだったんですね?過去にもう何曲も書いているから、この対談にいるんだと思ってました。

松井:逆にそれがよかったのかもしれませんね。これまでに、付き合いがあれば、いろいろ考えちゃって、この世界は書いていないかもしれませんしね。逆に、この世界でもいいんだって思えれば、佐藤さんだって、書くでしょう?

佐藤:書きません!(笑)

羽場:書きましょうよ!

佐藤:書きません!この世界は松井さんに任せます!太刀打ちできません。これは、男の人しかかけません。(笑)

西嶋:では、このへんで、これからの森川美穂に期待すること、ということでどうですか?

佐藤:どんなジャンルでも歌いこなしちゃうんだろうなっていうのがあって、じゃ、どれが森川美穂なんだよって言う人がいたとしても、いや、それが森川美穂なんだよって言う森川美穂ちゃんでいてほしいですね。なんか、これはダメ、これは歌えないとかいうんじゃなくていいと思う。ジャンルにとらわれずに、彼女がいいなって思ったものを、彼女の表現力で歌ってほしいなって思います。その面白さを見ていきたいなって思います。

羽場:リアルさっていうか、、、若いころの演歌とか聴いていない時期に、美空ひばりさんの「悲しい酒」の出だしの声をふるわせる感じとかで、心が震えたことがあったんですよね。ところが、「愛燦燦」の出だしのトーンとか、可愛らしい。歌によって、まったく違う表現ができる、そんな新しい森川美穂を出してもらえればと思いますね。

松井:大人のラブソングって、よく言いますけど、見渡してみるとそういう歌を歌い続けている人って、実は、そんなに思いつかないんですよね。いくつになっても森川美穂の「恋の歌」が歌えるみたいな、そんな世界に挑戦してもらいたい、彼女ならできるんじゃないかって思いますね。

西嶋:どうもありがとうございました。

1985年のデビュー曲の「教室」から、2016年にレコーディングされた「Life is beautiful」そして、今回のアルバムの新曲「ビニールの傘」までの森川美穂作品の変遷と、これからの森川美穂ということで、佐藤純子さん、羽場仁志さん、松井五郎さんと対談しながら、お話を伺いました。