03:ヤマハの歌手は17歳

メルマガVol.2を書き上げました!
思い出しながら書いていたら、自分でおもしろくなってしまい、ちょっと表現が軽くなり、頭の悪さが露呈しておりますが、、、
それも今のぼくの気分を反映していると思い直さないでそのままの文章にしました。
ぜひ読んでみてください!
それは、むかしむかし、夢も希望も魑魅魍魎も、さまざまなエネルギーが渦巻くテレビと音楽の世界のお話です。
1985年、森川美穂デビュー直後から、この物語は始まります。
それでは、URAKATAまじしにVol.2はじまり、はじまり~
 
 
当時、ぼくは日本テレビ音楽という会社で働いていました。アニメやドラマの主題歌を担当して制作したり、アーティストの原盤権、出版権という権利の担当業務をしていました。
クリィーミーマミをはじめとした魔法シリーズのアニメ主題歌を担当したり、中村雅俊さん、今井美樹さん、森高千里さんなどなどのレコーディングを担当したり、権利窓口業務をやったりしていました。
徹夜、徹夜の連続で、今で言えばすぐにブラックということになるでしょうが、それはそれはとても楽しい現場の毎日でした。
そんなレコーディング現場三昧の生活をしていた1985年の夏のことです。10月からはじまるドラマ枠の音楽制作担当を会社から命じられました。
当時、ぼくを含めて3~4人で、日本テレビのほとんどの番組主題歌の制作をしていました。
番組主題歌は、ドラマのプロデューサー、プロダクション、レコード会社、歌手、その周りの音楽出版などの権利関係者、などなど、様々な立場の人々が入り混じり複雑な力関係、綱引きの中で音楽が作られていました。
若造のぼくが体当たりで調整しながら、一筋縄ではいかない現場の中で、テーマ楽曲作品を制作をするために、作詞家、作曲家、編曲家とリレーションをとりドラマプロデューサーのOKをとりレコーディングをして、レコード会社との調整をしながら、リリースへとコーディネイトしていくという、かなりハードな世界でした。
しかし、ハードといっても、当時はそれが当たり前だと思っていましたし、楽しくもあり毎回、さてさて、今回は、どんなに大変な仕事になるのかな?と「大変」を楽しむというそんな自虐的な楽しみ方をしんがら、音楽制作をの日々を過ごしていました。
さて、10月からはじまる番組主題歌の話です。上司から呼び出されて、説明をうけました。
「今回は、ヤマハと日本テレビグループがはじめて手を組む、大事なプロジェクトだ。それをお前が担当することになる。しっかりやってくれ。つい最近、バップレコードから「教室」
というシングルでデビューした森川美穂という歌手が、このドラマ主題歌を歌うことが決まっている。」
ぼくは、毎週火曜日の午前に行われていた、社内会議で「教室」は聴いていた。おもしろい曲だな。いい声の持ち主だな。という印象が残っていたから、若いアイドル的な歌手であるという認識がぼくの中にあった。

「え?この子、たしか17歳ですよね?」
「そうだよ。歌はうまいよ。」
「いやいやいや、そうじゃなくて、今回のドラマ、不倫のドラマですよね?」
「そーだよ。」
「この子、17歳ですよね?」
「そーだよ。それが、どうした。」
「だって、17歳ですよ・・・ね・・・・、だって、ドラマは・・・」
「うるさいな。決まってるんだよ。お前はそんなこと考えなくていいんだよ。ごちゃごちゃうるさいよ。決まっての!お前はそれをしっかり進行すればいいんだよ!わかった?あん?」
「はい、、、わかりました。。。でも。。。」

偉い人たちの間で、どのように、このタイアップが決定したのかは知らない。
ぼくは現場の兵隊だ。兵隊は、司令官の方針にそむく権限はない。兵隊は言われた標的にむかって進み、目的を遂行するのみである。
若造ディレクターのミッションは、17歳の女の子に、不倫のドラマの主題歌を歌わせ、ヒットさせることにある。以上だ。
こうやって、森川美穂の2ndシングルは、日本テレビのドラマ「妻たちの課外授業」の主題歌となった。
あの、本人も大嫌いな「ブルーな嵐」はこうやって、ぼくが担当して出来上がった。
政治の世界とにているような気がする。決まったことは、もう誰も止められない。偉い人が決めたことは、そのまま、レールにのったまま走っていく。
もちろん、ドラマ主題歌のタイアップなんて、そう簡単に訪れるチャンスはない。一生に一度もできない歌手もいる。
ヤマハの17歳は、歌うことが大好きで、とにかく嫌な顔もせずに、歌いきってくれた。
ぼくは心のどこかに、トゲがささったまましかし、そんなことは顔にださずに、レコーディングしていた。
レコーディングには最終段階にトラックダウンという作業がある。テレビでのOAで少しでも派手に聴かせたいという思いでトラックダウン作業をした。
ところが、ヤマハのプロデューサー判断で、言葉が聞き取りにくいという判断があり、ヤマハサイドでトラックダウンをやりなおしてレコード音源はこのヤマハサイドでやりなおした音源が使われている。
ぼくはちょっと歌がでかすぎるんじゃないか?と思っていた。それで、テレビでOAする主題歌の音源は、ぼくが担当してトラックダウンしたものを使うことにした。
レコーディングされている音はは同じだけど、ミックス違いの2Versionが、CDとテレビ主題歌で使い分けられていた。
これが、ぼくがはじめて森川美穂と出会った仕事だった。
17歳のアイドルに不倫の歌を歌わせた、そしてぜんぜん、売れなかった。そのときの現場ディレクターがぼくでした。ごめんなさい。


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書いていて、スティーブ・ジョブズのスピーチを思い出しました。人はぶっつけ本番の人生を生きていて、いつだってその時の「今」は「点」にしかみえない。しかし、時が過ぎ、過去を振り返ってみると、その「点」はすべて「線」として繋がっていた。
・・・正確ではないけど、スタンフォードでのスピーチで、彼はこんなようなことを言っていました。
ぼくも無計画な人生を歩いているうちに、年をとりましたが、確かに振り返ってみると「点」は「線」になっていたんだと思えることが多くあります。
今日も長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。次回は「消えかかったシングル曲」と題して、森川美穂の代表曲の1曲を解説いたします。
お楽しみに!